「処女グダ」発言のナンパ師に、モラルを求めるのは無駄でしかない

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先日、有名ツイッタラーの凛乃子さんの「ナンパ師に関するツイート」が話題になった。

「処女グダ」とはナンパ用語で「処女を理由に行為を拒否されること」であり、凛乃子さんのツイートに付随して、ナンパ師への嫌悪を露わにする女性の声が多く聞かれた。

ナンパ師の「処女グダ」発言に対する批判の種類は、以下の通りだ。

・ナンパ師の処女軽視に対する批判

・「セックスを数」としか見ていないナンパ師の価値観に対する批判

・「処女グダ」というワードの胸糞悪さに対する批判

 

ナンパ師にモラルを求めるのは無駄 

「処女グダ」というワードから見てとれる、女性の「初体験」をあまりに軽く見た発言に女性が不快になる気持ちはよく分かる。僕も”初体験”の記憶は色濃く残っているが、あまりいい思い出じゃないため、後悔している面がある。

だから自分自身には「初めては初めてでしかない」と言い聞かせてきたけど、これから”初体験”を迎える人に対しては「初めては大切にしてほしい」と考えている。

だがセックスをスコアとしか見ていないナンパ師に、女性が「彼女たちの今後を考えて!」と言うのは、的外れの批判だと思った。

 

ナンパ師のゴールは「ヤること」それだけだ。

彼らの関心事は、いかに「即」を狙ってスコアを稼ぐかだけであり、彼らにとって「処女」や「生理」はゲームを攻略する上での障壁でしかない。

そんな彼らにモラルを求めるのは、ナンセンスだ。

何を言ったところで「他人の人生なんて知らねえよ」と返されておしまいだろう。

 

女性はナンパ師に物申すより、ナンパ師の知識を深めたほうがいい

では今回の話題を今後に活かすにはどうしたらいいのだろうか?

僕が思ったのは、女性はナンパ師に物申すより、ナンパ師に対する知識を深めたほうがいいということだ。

例えば、処女の女性がナンパ師とベッドインしたことを後から後悔しても、それはナンパ師が100%悪いことにはならない。

お互いの合意がなければ”ただのレイプ”なので通報すればいいが、ベッドインに至るまで女性には何回も選択のチャンスがあったはず。渋々にでも合意をしたら自分に少なからず責任が発生するのだ。

 

ナンパ師はありとあらゆる手段で、女性から「Yes」を取りに行く。

例えば「イエスセット話法」と呼ばれる心理学に基づいた技術は、相手に対して「Yes」と言わせたい質問をする前に、簡単に「Yes」と答えられる質問を繰り返してから本題に入るものだ。

そもそもついていかないのが一番だけど、こんな風に自衛のための知識を持ち合わせるのは大切だと思う。

 

凛乃子さんはツイッターで「処女グダ」を検索して地獄を見たというが、僕はグーグルで「処女グダ」を検索して”修羅”を見た。

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ナンパ師の思考は「いかに即るか」それしかない。

※即…会ったその日にセックスすること。

女性のあらゆるグダに対して、どう攻略していくか。

ナンパ師はそのために、何年も前から「処女グダ」というワードを生み出し「どうしたら処女グダを崩せるか」をシミュレーションして、試行錯誤を繰り返してきた。

この歴史を知っておくだけで、ナンパ師が何を考えているのかが分かるはずだ。

 

 

処女とヤリたがる男に思うこと

「処女グダ」というワードから分かるのは、「処女でもヤれればいい」という男が数多く存在することだ。

だが僕からしたら、処女の人とヤりたがる気持ちが理解できない。処女と致したところで、どんな欲が満たせるというのだろう?

 

自分の性欲を満たすのは、セックスに慣れてない女性相手では困難だし、処女厨の理由にありがちな「自分色に染める」という支配欲も、出会ってばかりで見ず知らずの女性で満たせるか…と言われたらありえないと思う。

 

そう考えたら、ナンパ師は自分のどんな欲求を満たすために「処女グダ崩し」に挑むのだろう?穴があればそれでいいと思ってるのだろうか。

そんなナンパ師を見ていると「セックスするためのナンパ」が「ナンパするためのセックス」になっているようで、とても滑稽に思えてならない。

 

僕の「処女厨」に対する偏見の記事は、下記記事にも書かれているので良かったら見てほしい。

www.yauyuism.com